めぐみ荘のお話し
めぐみ荘(1965年頃)  

本大学は、昭和21年6月に白百合女子専門学校として開学、昭和40年に調布市の現在地に移転、4年制大学として新発足しました。この土地は、もともと江戸紫の名で有名なムラサキソウの産地であり、津村重舎氏が薬用植物園を経営しておられた跡地でもあり、武蔵野特有の林がいまなお、みごとに保たれています。
「めぐみ荘」と命名された一軒の家屋は、この緑豊かな自然の中に、いかにもふさわしいたたずまいを見せて建っています。これは、静岡県田方郡で代々庄屋を務めた屈指の資産家・菊池家の住居で、約300年前に造られたが、昭和初期に重舎氏がこれを譲り受け、当時の薬草植物園内(現大学敷地)にトラック40数台で全材料を運び、極力原型を保つようにして復元されました。
この家屋の特徴は、屋根瓦・大黒柱・梁の3点にある。武家・神社・寺以外は瓦葺きを許されなかった時代で、茅葺だった当家も、のちに許可を得て瓦葺にしたといいます。また、大黒柱および梁の太さがその家の位権を示すものとして重視されていたが、ひと抱えもある大黒柱と大梁とは、その格式をしのばせています。
最後に、ここに集まった人々の顔ぶれをかいま見てみましょう。この家は当初から、「菊池の石橋はすり切れた」といわれるほど多くの村人の集合所でした。また、徳川末期の女流歌人として名高い「伊豆の袖子」は豆州菊池家の8代当主の長女で、この家で広く全国の歌人と交わっていました。その後、茶事に趣味のある津村氏が、裏千家宗家や政財界の同好の士を招いて茶会を催し、また各宮家の植物園視察の際の休憩所として使用され、第二次世界大戦中には首脳部の秘密会議場ともなりました。
日本庭園を前にして、現在、本大学のクラブ活動など、多目的に使用されています。無言のうちに、長い歴史と、ここに集まった人々の心を伝えながら、これからも多くの人に愛され、精神的な憩いの場となることでしょう。

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