矛盾の魅力
                       岩橋 淳一 神父
イスラム教徒たちの今
 この拙稿が印刷される頃の状況が予測できないまま、四月中旬に筆を進めています。
 「バクダッド、不法地帯化。略奪と復讐が横行」
この類の報道のキャッチコピーや映像が集中的に流れていたときに、少し考えさせられました。「宗教」とは一体何なのか、教徒たちの今は何なのか…。毎月五回、定時に偉大なるアッラー(神)に祈りを捧げ、ラマダン(断食)期には忠実にその義務を果たし、本能的欲望すら支配できている(と思われる)イスラム教徒たちが、どうして『クルァーン(コーラン)』の教えを容易に無視できるのだろうか…。

キリスト教徒の現状
 こんな脈略から、ふとあることを思い出しました。数年前、機会あって三ヶ月ほどドイツのデュッセルドルフに滞在していたときのことです。ある雑誌に興味深い記事を発見したのです。
 
「あなたのキリスト、ユダヤ人。あなたの数字、アラビア数字。あなたの休暇、トルコ国。あなたのコーヒー、南米産。あなたの起源、アフリカ人。あなたの車、日本製。あなたの文字は、ローマ字さ。」
 これは、ドイツ人の外国人蔑視と差別の風潮をストップさせようと、政府の肝入りで全国キャンペーンをした際に公募したキャッチコピーの最優秀賞に輝いた作品とのこと。しかも、この作品は正式に応募されたものではなく、巷間に貼られていた公募ポスターにあった落書きだったそうで、いまだに作者が名乗り出ずに賞金を手渡せずにいるとその記事は伝えていました。
 ドイツはキリスト教徒が多数を占める国ですし、実に多くの聖堂の尖塔が目立つ街並みを呈しています。キリストの福音を受け、『聖書』を至上の糧として生きている多くの善良な人々が住んでいるのです。でも厳然と外国人蔑視の現実が存在しており、前述したイスラム教徒と同様の疑問が生じてくるのです。略奪や差別を戒め、それを克服する理由や動機を示す教典は無力なのだろうか。まして、戦争や、テロ行為の大義名分のように利用されようとは…。
矛盾こそ人間の魅力
 もちろん人間の現実や構造は複雑で何重にも交錯しているので、このような単純化した疑問はそ
れ自体意味がないかもしれません。しかし、宗教が果たしている人類の成熟への福音も事実です
し、同時に無宗教への希求も現実なのです。この緊張したタイトロープの上を歩み続ける人間の旅
は、いつまでつづくのでしょうか。人間はどちら側に終点を見出そうとしているのでしょうか。
 ともあれ、宗教の持つ教義や建物が生きるのではなく、人間が生きるのですね。そして殺すのも、
ひょっとしなくても人間に他ならないのですね。強そうに見せても、所詮人間とは弱い存在なのだと
確信せざるを得ない私なのです。矛盾と不可解に包まれている人間、そこにこそ人間の魅力が見え
てくるのです。

                                       (本学非常勤講師・東京教区司祭)