二〇〇三年夏サンチャゴ巡礼
                       光延一郎 神父
 夏休みを利用して、スペインのサンチャゴ巡礼路を歩きました。近頃は、この道(スペイン語で「カミーノ」)は、女優や作家の紀行で紹介されたり、マスコミにもいろいろと取り上げられるので、日本でも一種のブームになっているようです。私自身、以前はそれほど関心もなかったのですが、NHKのドキュメンタリーを見て、自分でも是非歩いてみたいと思うようになりました。――その番組では、スペイン・フランス・ドイツからの三組の家族が、巡礼路をたどるうちに過去の心の傷を癒され、絆を強めていく様子が生き生きと描かれていました。
 私は山歩きが趣味なので、神父としての活動の一環としても、休日にハイキングに行って親睦と信仰をいっしょに深めようというグループと係わっております。その名前が「ペレグリノス(スペイン語で「巡礼者たち」という意味)と言うので、やはりいつか本式の巡礼を経験してみたいと常々思っていました。動機のさらに深いルーツには、私が所属するイエズス会という修道会の創立者イグナチオ・デ・ロヨラもいます。この十六世紀の聖人は、若い頃エルサレムやヨーロッパ各地を巡礼することから、自分の進むべき道を見出しました。フランシスコ・ザビエル等の同士と結成した修道会の総長になって以後は、ローマの執務室を出ることも稀でしたが、でもそこで書類に署名するときに、彼は「巡礼者」と記していたそうです。きっとそうして貧しい巡礼者として人生を一筋に歩もうと決心した本来の自分の姿を確認していたのでしょうか。その精神を受け継いで、私たちも修練のときに、秀吉による磔刑で殉教した日本二十六聖人の足跡(京都〜長崎)を徒歩でたどる巡礼行をしました。それは、十一月の冷たい雨に打たれたり、昼食を物乞い(托鉢)で施してもらうという決まりでしたが、何ももらえず空きっ腹で夜まで歩いたり…、など厳しい行でもありましたが、今にして思えば、若い心一杯の希望で神を仰いだ旅路でした。
 キリストの十二弟子の一人ヤコブのお墓があると言われる、サンティアゴ・デ・コンポステラへの道は、いろいろなシンボルで彩られています。「コンポステラ」という地名が「星の野」に由来するとの説もありますし、当時の世界からすれば地の果てである大西洋の海を目指して星の道を歩む巡礼者の目印は「ホタテ貝」でした。そんな何か宇宙につながるイメージが「巡礼」による未知の世界への憧れを膨らませます。ヨーロッパ各地からの巡礼路は、ピレネー山脈を越えて、やがて一本の道に集まり、そこで人々の流れが出会います。スペイン国内だけでも七百キロメートルを越える道は、半島の中北部を横断しますので、そこを歩けばバスク、カスティーリア、ガリシアという、言葉も文化も自然もまったく異なる風土を肌で感じることができます。
 私たちのグループが辿ったのは、一番ポピュラーなコースですが、それはフランス側バスクのサン・ジャン・ピエ・ド・ポール(この町は、昭和の日本カトリック教会を大いに励ました宣教師カンドウ神父の出生地として有名)からピレネーの峠越えでスペインに入るものです。しかし巡礼初日から千百メートルの登りと二十数キロの行程は、ふつうの日本人にはきつ過ぎますね。私たちも、今年のヨーロッパの猛暑と仕事や移動の疲れが重なって、たいへんな難儀をしました。国境のイバニエタ峠を越えたところは、ロンセスバイエスといってスペイン側の起点ですので、スペイン人のほとんどがここから旅立ちます。巡礼中は、アルベルゲと呼ばれる巡礼宿に泊まれば安上がり(ふつう四ユーロ、五百円くらい。ガリシア地方に入れば、基本的に無料)ですが、そのためには巡礼者であることを証明する道中手形(スタンプ帖、どこのアルベルゲででも発行してもらえる)が必要です。アルベルゲには通常、二段ベッドとシャワー、自炊のためのキッチンなどが設備されています。夏は混んでいて、周りの人のイビキに悩まされたりもしますが(…あるいは、その逆? いずれにせよ耳栓は必携)、世界中からやってきた巡礼者たちと友人になる良い機会ですので、なるべくアルベルゲを利用したら良いと思います。
 牛や羊の多い牧畜中心のバスク地方を抜けると、ワインで有名なラ・リオハ州。景色は一面葡萄畑となります。さらにブルゴスあたりのカスティリアに入ると、来る日も来る日も地平線まで麦畑が続きます。(私は、体力に自信のない人に付き添って、このあたりは割愛して、古都レオンにジャンプしましたが)。レオンからは二つの山越えでした。一つは、願い事を書いた小石を持って上がると、それが叶うといわれる「クルス・デ・フェロ(鉄の十字架)」。もう一つは、最後の難所であるセブレイロ峠。それを越えるとガリシア地方に入りますが、そこは雨が多いので緑が濃く、なつかしい日本のいなかとよく似た景色となります。
 巡礼にまつわる遺跡も数々ありましたが、一番よく見ていたのは、当たり前ですが目の前の道ですね。どこを歩いても道は同じか、とも思います。道中の教会が門戸を固く閉ざしていたり、スポーツ感覚の「歩行者」が多くて、少しがっかりもしました。でもカミーノは、歩く人の望みに応じて、それぞれに実りを与えてくれるものだとも思います。心のありようによって世界は全く異なって見えますね。道の脇を見ると、しばしばラズベリーが実っていて、それで喉の渇きと疲れが癒されました。本気で信仰巡礼を試みるなら、名だたる巡礼路だけに、パウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』に出てくるような手強い悪霊も必死に妨害してきます。巡礼を終えて痛感するのは、道を見分ける霊的なセンスをしっかり持つべきこと、でしょうか。私たちのこの混迷する時代を貫く巡礼の路を見極め、それを歩き通して、もう一度使徒聖ヤコブと笑顔で握手したいものだと思います。
                (本学非常勤講師・イエズス会司祭 上智大学神学部講師)