白百合女子大学の宗教教育が目指すこと


自由な生命・新しい人間

1.本学の歴史

白百合女子大学が「ミッション・スクール」だということはご存知のことでしょう。しかしそもそもミッション・スクールとはどういう意味なのでしょうか。一般的には「キリスト教系の学校 ( 大学 ) 」という意味です。しかし、より正確には、 2000 年前にイエス・キリストから「あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい」という使命を受けて派遣された教会の中で、特に教育活動に専念する学校という意味です。ミッションとは本来この「派遣」されたことを言うのです。
この教会の歴史の中で、 17 世紀の末 (1696 年 ) にフランスはシャルトル近郊のルヴェゥィルで誕生したカトリック教会の修道会「シャルトル聖パウロ修道女会」が本学の設置母体です。この修道会は恵まれない環境におかれていた女性たちにキリスト教の教えに基づいた教育的・福祉的な活動をするために創立されましたが、現在世界中にその舞台は広がっています。日本だけでも、北海道から九州まで各地に学校や施設があります。

2.ミッションの大学とは
*宗教教育の目的

ミッション・スクールとしての本学の目標は、まずは、学生ひとり一人が各自の存在の尊さを信じ、持てる可能性を十分に発揮できるように援助することです。
将来皆さんが社会や家庭の場で幸福な人生を送ることは望ましいことですが、それだけでは足りません。本学では、皆さんが自分のことだけではなく、他人の幸福や利益を考え、そのためには労を惜しまず、また、どんな逆境におかれても絶望することなく、それをより深い生き方へと役立てることの出来る、愛と勇気のある内的な人間になることを期待しています。
本学では 4 年間にわたって宗教科目が用意されていますが、それはすべて、この人間形成のためです。ただ知識や常識を断片的に習得するだけでは人間として不十分でしょう。むしろそうした知識を統合し、ある場合には常識を突破して、新しい物の見方を得ることが必要です。たえず「新しい人」であろうとすること、それが宗教教育の基本的な目的です。

*自由と真理の探究

私たちのいのちは、単なるモノではありません。奥深い可能性に開かれた人格的存在であって、自由に羽ばたくことを望んでいます。
しかし、ほんとうに自由であるためには、外的な束縛がなくなるだけでは足りません。もしろ最大の束縛は自分中心の「自我」ではないでしょうか。狭い自分が自分自身をしばりつけて不自由になってしまうことはしばしばです。
本学の図書館の入口に、「 VERITAS LIBERAT 」 ( ヴェリタス・リベラト ) というラテン語が掲げられています。これは「真理はあなたがたを自由にする」というイエス・キリストの言葉です ( 新約聖書『ヨハネ福音書』 8 ・ 32) 。真理とは抽象的に聞こえますが、私たちが生まれながら知ろうと欲している人生や世界の本当の意味、味わいのことです。それを少しでも知ることによって、私たちは生きる喜びと開放感を経験します。
「大学」とは、本来そうした真理を捜し求める場、すなわち「真理探究の共同体」なのです。ですから専門的な知識を蓄積するだけでなく、ミッション・スクールとしての本学では、「青春の日にこそ、お前の創造主に心を留めよ」 ( 旧約聖書『伝道の書=コヘレトの言葉』 12 ・ 1) と言われるように、みなさんに、創造主であり真理の源である方 ( 神 ) を知っていただきたいと願っています。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」 ( 新約聖書『マタイ福音書』 4.4) とも書かれているように、私たちのいのちはただ生物的なものであるだけでなく、神にまで開かれ、神の言葉を学んでこそ生き生きとしたものになるのです。