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【報告】特別講演企画〈歌舞伎を学ぶ/歌舞伎を楽しむ〉を開催しました

2023年5月12日

4月27日に、舞台芸術実践プログラム対象科目「近世文学講義A」の授業において、講師の先生をお招きし、特別講演企画〈歌舞伎を学ぶ/歌舞伎を楽しむ〉を開催しました。お話いただいたのは、早稲田大学教授・早稲田大学演劇博物館館長・歌舞伎学会会長の児玉竜一先生です。


 
 
講演会では、知らない間に私たち日本人のDNAの中に歌舞伎が記号となって埋め込まれているというお言葉があったのですが、聴講しているとまさに「そんなところにも歌舞伎の存在が!」と驚きと、気づきの連続でした。
言われてみれば当然なのですが、「歌」「舞」「伎(演技)」はそもそも当て字で、昔の村や町の人々の生活の中に、もととなる「かぶき」はあったのです。それが演劇として洗練され、高まったのが1600年前後だと言われており、現在まで約400年の歴史が続いていること、その中で例えば「新宿歌舞伎町」、その由来をたどれば、町名に歌舞伎とつけるほど、歌舞伎劇場の開設を待望していた背景に(結局劇場は誘致できなかったが)、昭和20年代に戦後復興の起爆剤として、歌舞伎は集客ができるもの、娯楽として上位を占めるものだったことがわかり、当時の歌舞伎に対するイメージの奥行きや幅が広がりました。もっと身近には、歌舞伎からトップスターへ転身していった役者さんがたくさんいた時代劇映画や、変身時に敵が待ってくれる・5人でポーズをとるなど極めて歌舞伎的で世界でも例を見ない戦隊ものなどに、江戸明治大正と娯楽の王者だった歌舞伎の「末裔」はいるのだと発見できました。
 
 
また、西洋は戯曲は残すけれどもどんな風に演じていたのかという演じ方は残さない一方で、日本は演劇の方法として演じ方を引き継いでいたという違いが特に興味深かったです。政治的圧力で、前王朝のものを壊すことで新しい様式が出てくる上書き保存の海外とは異なる、別フォルダ保存形式の日本の特徴と繋げて、歌舞伎をはじめ様々なジャンルの演劇が増えても雅楽(舞楽)や能、狂言など前時代の演劇が無くならずに積み重なっていく、日本の演劇史の積層性という特色が腑に落ちた瞬間でした。
その他にも、三升・丸に二引などの家紋のお話、小説の挿絵と舞台絵面の関係や役者は俳名をもっていたなど俳諧との関係からわかる他ジャンルとの交流のお話などなど、歌舞伎演劇に関する多方面からのご教授を賜りました。
 
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