【報告】「国語国文学特講(演劇)Ⅰ」の授業でゲストスピーカーをお招きしました
2024年7月29日
安冨順先生ご担当の「国語国文学特講(演劇)Ⅰ」の授業において、現在、読売新聞、「演劇界」(「劇評」)、「テアトロ」に劇評執筆なさっている、演劇評論家(歌舞伎)の犬丸治先生をゲストスピーカーにお招きしました。
古典があるということは今がある。
歌舞伎を古いものと決めつけずに、自分と引き寄せてみることが大事なのだというメッセージが印象に残っています。歌舞伎の劇評の歴史を辿り、実際の劇評を資料として読みながら、「劇評とは?」というテーマで、お話をお聞きしました。
劇評と聞いて、興行の宣伝・広報の役割があることは、私たちもイメージがしやすいかもしれません。劇評は興行成績に直結しており、興行自体を動かす力を持っていると言えます。アメリカ、ブロードウェイはロングランの興行となるため、ニューヨークタイムズに載る劇評に対して非常にナーバスになるのだそうです。対照的に今の日本は、現代もの、古典もの、文楽、歌舞伎、能など様式が異なるものが並列した形で上映されている日々で、ロングランがあまりないというのが海外と比べて特徴的です。その中で歌舞伎の長所、短所が浮かんで見えてくるとも言えます。劇評には、舞台の描写、歌舞伎の「型」の記録という役割もあります。役のしぐさ、行動、衣装の内容、全て決まっていて、昔から続いている「型」。その「型」を基準に、役者同士を比べ、記録する。これらが劇評としてあることで、後世への貴重な資料となるのだとわかりました。
歴史を遡って、江戸時代1656(明暦二年)から明治半ばまで「役者評判記」というものがありました。江戸時代の上方の動向が伝わってくる劇評だと言えます。原則として11月の顔見世狂言の演技に対する評をまとめ、江戸、京都、大坂各1冊3冊組で翌年の11月に出版されていました。いろいろな立場の人が出てきて批評し合う座談会形式の合評です。しかし、実際に座談会をしているわけではなく、いわゆる仮想座談会であり、編者のフィクションだとされていて、複眼的な批評であるのが特徴なのだとわかりました。
そういった江戸時代の役者評判記から脱して、個人に立脚した劇評が始まるのは、森鴎外の弟で医者の三木竹二(本名・ 森篤次郎 1867~1908 慶應三~明治四十一)によるものからなのだそうです。精細な型の描写が特徴です。まさに近代自我の目を通して、役者の一挙手一投足を詳細に観察、描写、分析した劇評で、歌舞伎劇評の近代化と言える時代のものです。劇評家の「個」の確立がなされたわけですが、これは現代の劇評に通じています。劇評とは、劇評家という一人の人間の個の発露であり、一人の人間が劇とどう向き合ったのかという記録だと考えられるのです。さらに、演劇の向こうの社会と個の関係、社会と演劇の在り方を考えさせる役割もあるとわかりました。
戦前の劇評家として避けて通れないのが、岡鬼太郎(1872~1943 明治五~昭和十八)と三宅周太郎(1892~1967 明治二十五~昭和四十二)の二人です。幕内、つまり芝居の内側の人間であれば、利害関係が関わってくるため、芝居をほめる、けなすという劇評を書けるはずがなく、また受け入れられるはずもないのですが、岡鬼太郎はその立場でありながら、劇作的な文体で辛辣な劇評を書くということをやってのけた人物だとわかりました。歌舞伎の独特の言葉で、「居どころ」というものがあるそうです。役者が舞台のどこに座っているか、立っているか、役によって決まっており、この居どころが狂ってしまうと空間の秩序が乱れ、ドラマが成り立たなくなってしまうほどのものです。岡鬼太郎は居どころについて目を光らせて見ていました。空間の把握能力、人望があり、「この人が書いているなら文句を言えない」という信頼があった劇作家だったのだとわかりました。また、文楽の研究も優れている三宅周太郎は、ストイックなまでの「型」の記録の集積、分析をなした人物です。「新聞劇評家に質す」(大正六「三田文学」)の〈その「立場」と「見方」とを異にするとしても、その批評が悉く「歌舞伎劇の為に」と言ふ真実の叫びでなければならない。「歌舞伎劇の為に」と言ふ熱愛の声でなければならない。「歌舞伎劇の為に」と言ふ同情の滴りでなければならない。そしてあらゆる不純の分子を斥けて、永久に歌舞伎劇の芸術的向上と、擁護とを企図するものでなければならない。〉という一節からは禁欲的な型の分析の根底にあるものが読み取れます。ここまでが戦前の劇評、劇作家で、戦後は、戸板康二(1915~1993 大正四~平成五)によって、歌舞伎鑑賞の普遍化が起こります。戸板康二の劇評は、軽妙洒脱、都会的な文体でした。これまでの「型」を追求、「型」に精通しようという流れとは違って、歌舞伎に対して「我々は異邦人なんだ」「歌舞伎から距離を置いて、離れてみてみよう」という「通」からの脱却によって歌舞伎を相対的なものとする考え方は戦後の若い観客に新鮮に受け取られたのだそうです。戦後の歌舞伎の一つの潮流を形作った劇作家だったとわかりました。
授業内では犬丸先生ご執筆の劇評も複数読み、そのうちの一つである「魚屋宗五郎」における主人公が酒に酔っていく場面の視聴もしました。舞台を見ながら、原作つまりは脚本を読んでどういう役か考え、先人の型、知識を学び、この目の前にある舞台が、それらに適っているかどうか、歌舞伎本来の古典ともいうべき規範を守っているか、その中でどれだけ新しさを役者は発見して演じているか、ということを注目して評しているのだとわかりました。
劇評とは何か、歌舞伎を観るとはどういうことなのか、ということを考える貴重な時間でした。