白百合について

学長室の窓から No.40

2022年11月29日

平和をもたらす人は幸い
 

白百合女子大学
学長 髙山貞美

今年も残すところあと1ヶ月となり、アドヴェント(待降節)の季節を迎えました。今年は例年にもまして平和の尊さについて考えさせられる年となりました。というのも、2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、戦争が長期化の様相を呈し、いつ終止符が打たれるか一向に先が読めない状況だからです。この世界の平和が戦争や紛争と隣り合わせであることを改めて意識せざるをえません。

この1年を振り返ってみて最も印象に残っている新聞の写真は、ウクライナのイルピン市でわが子の棺を抱いているナターリアさん(62歳)の姿でした。産経新聞(2022年5月8日)によると、ロシア軍が侵攻した際、取り残された母親のナターリアさんを助け出そうと車で迎えにいく途中、銃撃を受けて息子のアレクサンダーさんが亡くなったということです。

  息子よ あなたが死んでしまって 私が生き残っても意味がないのよ

最愛の子を失った母親が絞り出すように発した嘆きの言葉です。水仙の花を片手に握りしめたナターリアさんが、アレクサンダーさんの棺に涙で顔をうずめている姿が深く心に刺さりました。年老いた親を見送ることさえ大変つらいことなのに、まして愛しいわが子に先立たれてしまった親の気持ちがいかばかりか想像することすらできません。

  平和より戦争を選ぶほど無分別な人間がどこにいるだろうか。平和の時には子が父の弔いをする。
  しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならない。(ヘロドトス『歴史』巻1、87節)

平和より戦争を選ぶほど無分別な人間がどこにいるだろうか。紀元前6世紀にリュディア王クロイソスが古代ペルシアのキュロス2世に問うた言葉です。クロイソス王の言葉を待つまでもなく、戦争の残酷さはだれしもわかっていることで、平和より戦争を選ぶほど無分別で愚かな人間はこの世のどこにも存在しないはずです。しかしながら、人類の歴史において戦争や紛争は繰り返し行われ、たとえ戦いが終わっても破壊と流血によってもたらされる災いの悲しみはいつまでも消えることはありません。

最後になりますが、今年もこの時期になるとフィリピンの子どもたちのための支援活動が本格化します。湘南白百合学園にはフィリピンのTawi Tawi島のスラムの子どもたちを支援するボランティアグループがあり、その活動に協力する形で本学のセントポール・コイノニア・ルームでもぬいぐるみや文房具などの寄贈品や支援物資を集めています。湘南と本学のコラボ企画といってよく、姉妹校同士の強いつながりを感じます。12月6日(火)には湘南白百合から1人の先生と事務員の方が、集まった支援物資を受け取るために軽トラックに乗って本学に来られます。こちらで集められた物資は、フィリピンに送るために湘南白百合の生徒たちが心をこめて箱詰めやメッセージ書きをする予定です。未来を担う子どもたちのために、みなさんの温かいご支援・ご協力をお願いします。


 

 


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