白百合について

学長室の窓から No.41

2022年12月20日

振り返ることのなかから
 

白百合女子大学
副学長 小林 明子

 12月も中旬となり、今年もあとわずかの日数を残すばかりとなりました。皆さんにとって、2022年はどのような1年だったでしょうか。
 新型コロナウイルス感染症と向き合う日々は、ウイズコロナ、さらにはアフターコロナという言葉が示すように、コロナと共存しながら、そしてさらなる新しい生活のあり方を模索する方向へと進んできました。こうした考え方は今後も継続していくと思われます。
 多くの人々がさまざまな場所で、さまざまな立場で、今の社会を見つめ、考え、行動した年だったと言えるでしょう。ウクライナでの戦火が止まず、心も身体も傷ついた人々のことを思うと心が痛みます。遠く離れた場所で生きる人々による、苦難を耐え忍ぶ人々への支援の輪が日本国内だけでなく世界各地で広がっています。
 学生の皆さんにとっては、大学での生活(授業、部活動など)、あるいはアルバイト、就職活動などで形作られる日常生活で見聞きすることが、自分を取り巻く主たる世界と意識されることと思いますが、そのごく身近な自分の周囲をよく見つめてみることは、今、自分が生きる社会、時代すなわち現実を見つめ、考えることにつながります。

 私が専門としている島崎藤村という作家は、生涯、日本だけでなく、世界の現実を見続け、社会性を帯びた問題意識をもって、それを小説の世界のなかで展開しました。彼は、短い文や文章で、過去を振り返ったり、その時々の自分の思うことを書き残していて、それらは『新片町より』という本にまとめられています。明治39年6月から明治42年8月にかけて書き継がれたもので、当時の彼は小説家として生きていくことを決意し、長編の第一作『破戒』を刊行したものの2人の娘を相次いで病気で亡くします。ようやく自作を完成したとはいえ、自費出版のため、知人に費用を工面するために助力を請うなど経済的にも苦しいなか、愛する子どもを失ったのです。しかし、この境遇にめげることなく、その後も日本社会、さらには世界で生きる人々が抱える問題について鋭い視線を投げかけ、執筆活動を続けていきます。そうした境遇のなかで綴られたものを読むと、その短さゆえにいろいろと考えさせられるわけですが、こうした背景を知るとより重みをもって迫ってきます。
 「涙と汗」という一文があります。

 「涙は悲哀を癒し、汗は煩悶を和げる。涙は人生の慰藉である。汗は人生の報酬である。」

 涙すること、汗をかいて何かを行うこと、人それぞれに自分自身のことにあてはめると、思いあたることがあろうかと思います。喜びの涙もあれば、悲しみにくれるなかで流される涙もあります。汗をかくことは、単に身体を使うことによって流されるだけでなく、何かに取り組むなかでの苦労することで流されるものも含まれているでしょう。汗と涙は常に、共にともにあるもの、そして人を救うものであるとも言っています。何かを成そうとする時、それが自分のためのこともあれば、他者を思ってのこともあり得るわけですが、困難を伴う場合もあります。しかし、自分で把握し、理解できることだけではない、自分が思いも及ばないような状況にも想像力を働かせ、思いを馳せることは、他者と手を携え、そして自らの歩みを次につなげていくきっかけを見出していくことでもあると思います。皆さんが、今年を振り返ることのなかから、それぞれに次のステップへと進む何かを見出すことができますようにと願います。
 

 


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