白百合について

学長室の窓から No.15を掲載しました

2020年12月7日

非日常の風景

白百合女子大学
副学長 伊東 玉美

 白百合女子大学元教授の国文学者久保田淳先生が、この113日に文化勲章をお受けになりました。職場の先輩としてというよりも、学部時代から指導を受けた学生の一人として、感激と共にNHKのテレビで親授式のニュースを見ましたが、最初に目に付いたのは、授ける側も受ける側も、この晴れの日にして白マスク姿だったことです。さすがに受賞者の写真撮影の時、受賞者の面々はマスクを外していらっしゃいましたが、きっと直前までマスクをつけておいでだったのでしょう。ウィズコロナの日常に疲れがちで、なおかつ経済活動再開のため、ビフォアコロナの状態を取り戻していかねばならない大きな動きの中にある私たちは、ともすれば「警戒するにも限度がある」と考えがちですが、こういう特別な晴れがましい場に於いてさえ、国の中心的役割を果たしている人々が、感染対策をしている姿が報道されることには、重い意味があったと思います。

 今秋から、国や自治体と関係業界が協力して、Go To トラベルキャンペーンを行っています。またしても『徒然草』には、これとつながりのある章段があります。第十五段です。


いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、ここかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる、「そのことかのこと、便宜に、忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、よろづに心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺・社などにしのびてこもりたるもをかし。

 日常とは異なる空間・時間に身を置くことで、新鮮な気持ちになり、馴れ合っていて気づきにくくなっていたことにはっと気づいたり、日常に埋没していたことに新たな価値を見いだしたりする経験を描いている前半。そして、こういう時にこそ、心配りが必要になり、物も人も、よいものはいっそうよく、すばらしいものはいっそうすばらしく見える、という後半部分は、「同じものでも、違う場面に置かれることで、真価が問われる」といった内容で、最後の一文は、解放感のあるところに人と集うのとは逆、一人そっと籠もる、という旅も存在することを言っています。

 いろいろな意味で、新型コロナウイルス感染症対策下にある私たちの現状と通じるところの多い段でしょう。こういう非日常の場で、「よき」教員は、今までの自分の授業の特質をあらためて考え、受け手への影響を観察しながら授業改善するという細やかな「心づかひ」ができます。そうでない教員は、理由をみつけて自分のやりやすいスタイルに固執し、学生への「心づかひ」は後回しになりがちでしょう。残念ながら似たことは学生の側についても言えそうです。自習時間・準備時間を一定程度必要とする遠隔授業の形態は、授業をきっかけに調べ考える力を錬磨する気持ちが学生の側にどれだけあるかを、試される場ともなったからです。

 第十五段的に言うなら、教員も学生も、そして遠隔授業というスタイルそのものも、非日常の環境の中で、その美質がよりくっきりと白日の下にさらされ、また細やかな心配りが必要とされています。白百合女子大学は、こうした巡り合わせの全体を、よいきっかけにできるようでありたいと考えています。


 


                          
             
  

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