学びの内容

【OC報告】8月6日(日)オープンキャンパス報告 模擬授業について

2023年8月25日

8月6日(日)に今年度3回目のオープンキャンパスを開催しました。
晴天に恵まれ、たくさんの方にお越しいただきました。ありがとうございました。
それでは、第3回オープンキャンパスで行われた模擬授業の内容についてご紹介いたします。
 
模擬授業①
近代文学「漱石文学で日本の ‘近現代’ を探求する」
担当:猪狩友一先生
 
夏目漱石の生きた時代と文学を、現代を生きる私達の目標、SDGsと合わせて考えました。
近現代とは、明治時代から現代までのおよそ150年の時代を指します。
今回は夏目漱石の生きた時代、明治から大正の時代に着目しました。
 
SDGsの目標の中に「気候変動に具体的な対策を」という項目があります。
CO2排出量は、第二次世界大戦後から急増しています。明治から大正の時代においても、排出量が右肩上がりになり出していました。この頃、日本の社会は変化を迎えていました。
夏目漱石は急速に近代化する日本社会を、作品を通じて批評しているといわれる作家です。『こころ』(大正3年)の中にこんな一文が出てきます。
「自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの悲しみを味わわなくてはならないでしょう」
ここに登場する自由(Liberty)、独立(Independence)、己れ=個人(Individual)とは西洋から入ってきた価値観です。西洋化する日本への批判的な漱石の姿勢が見て取れます。
また、『行人(こうじん)』(大正元〜2年)という作品の中では、語り手の兄・一郎がこんな台詞を言っています。
「人間の不安は科学の発展からくる。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。」
そして俥(くるま:人力車のこと)から自動車へと変化していった乗り物、さらに飛行機を挙げて「どこまで伴(つ)れて行かれるか分らない。実に恐ろしい」と語ります。
現代人が忘れがちなことを、作品から教えられているように思えませんか?
作品を手掛かりに時代について考える、そんな視点もまた文学を学ぶ面白さの1つではないでしょうか。



模擬授業②
古典文学「清少納言と兼好法師——大学での古典の読み方」
担当:伊東玉美先生
 
授業では、『徒然草』の「いやしげなる物」という書き出しで、上品でないものごとが列挙されているお話を、なぜそれらが上品ではないと判断するのか、一つずつ考えながら読みました。このお話は、清少納言の『枕草子』を踏まえて書かれているので、『枕草子』の対応する段も読んでみると、列挙の仕方が異なることに気が付きます。オリジナルの『枕草子』に比べて、兼好法師は多さという条件を付与して列挙しているのです。
さらに授業では、多くても貧乏くさくはないものに、兼好が「塵塚の塵」(庭掃除で出る落ち葉など)を挙げていることに焦点を当てました。貴族の「塵塚」にあたるのが、皇居では「ちり山」です。非常に正式な宮中というテーマで詠まれた和歌にも多く「ちり山」が詠い込まれたことから、天皇様の御代が重ねられた証として、歴史が堆積したおめでたく縁起の良いものとして「ちり山」が認識されていたことがわかります。
貴族の「塵塚」に具体的に何が積もっているのかといえば、春なら桜、秋ならもみじというように、季節の名残や記憶が「塵塚」には堆積します。それが宮中で言えば「ちり山」にあたり、「塵塚の塵」を多くても「いやしからぬ」と判断する背景には、兼好が「歌人」であることを考えれば、この和歌の伝統の世界での非常にゆかしいもののイメージがあったと私たちは読み取ることができるのです。
重みや幅を持たせながら読むことができるという、大学での古典文学の楽しみ方を体験できました。



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