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【報告】「国語国文学特講(演劇)」の授業でゲストスピーカーをお招きしました

2023年12月26日

安冨順先生ご担当の、11月17日(金)「国語国文学特講(演劇)」の授業において、演出家・劇作家である三浦剛先生(桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻・教授)をゲストスピーカーにお招きしました。
演劇における演出とは何か、演劇の根本にかかわる内容を多岐にわたってお話しいただきました。

 
時代によって演出家に求められる素養が変化してきたという話題では、かつて演出家にはスター性が求められてきたとお話してくださいました。演劇を観に行くきっかけとして「スター演出家の演劇だから」という要素が強かったということです。それが、SNSを通して、誰もがある意味で「スター」になれる時代になりました。現代において、演出家はバランサー、コレクターとしての役割が大きいのかもしれません。音響、照明、衣装、大道具、小道具に至るまで、全てがアートであるなら、演出家一人の理想より、アーティスティックな彼らの才能を表出させた方が、大きな力になるはずだという考えのもと、台本を指針に皆で意見を出し合いながら、取捨選択して演劇を作り上げているのだとわかりました。
一方で、シェイクスピアや歌舞伎を引き合いにすると、演出家がいなくても何百年も前から劇を作ることができていたのだとすれば、演出家とは意外にも新しい職業なのかもしれません。この説は、演出家の存在は本当に必要なのだろうか、という問いを我々にもたらしますが、客席側にいるという演出家の役割は重要であると述べられておりました。観客と同じ場所にいられるのは、照明と音響を除けば演出家だけなのです。仮に、演出もしながら俳優としても舞台に出たいという場合、自分が演技をしているとき、劇の見え方を誰も考えていないことになります。演技をしている最中だけ別の俳優に代わりに見てもらうとなると、演出家が二人いることになってしまい、クオリティーがあがらない、統一感の欠けたものになると教えていただきました。
演劇のリアリズムというトピックでは、海外の演劇では、役者の音声をワイヤレスマイクで拾っていたことに触れられていました。国際交流の場で、日本の学生が観客席にマイクなしで聞こえる発声をしていて驚かれたともおっしゃっていました。声を張らずに、リアルで話すときに聞こえる話し方で発声するのが、リアリズムだという考え方に対しては、ならば演劇ではなく、映画でいいのではないかと思ってしまうとのことで、受講者も皆考えさせられました。テレビや映画などの映像作品は、どれだけ自然かというナチュラリズムを要求しますが、声を小さくするのはナチュラリズムであって、別のところでリアリズムは表現できるのではないかという指摘が興味深かったです。
ナチュラリズムでの演技を薄めと言い表すなら、ミュージカルでの演技は濃いめだともお話されていました。そのミュージカルと比べて、ストレートプレイは関係性を重視するという点において違いが出ているのだそうです。本音と建前が会話で繋がれていって、観客はその関係性に面白さを見出し、感動させられるのではないでしょうか。対照的に、ミュージカルの台本の中身は実は簡素なのだそうです。これは、台詞のやり取りではなく、歌で劇が展開していくことの表れでしょう。この場合にキャラクターや演技は濃くなければなりません。いわゆるナチュラルな演技から歌が始まると乖離が激しくなってしまうからです。構築されていく関係性で魅せるストレートプレイと、歌われた心地よさ、歌と踊りのすばらしさで魅せるミュージカルとの違いも学ぶことができました。
学生からの質問は、「制作を担当していたのだが、観客を呼び込むにはどうしたらよいか」といった本学の舞台芸術実践プログラムで実際に裏方も含めて演劇を公開した経験に基づいた内容が多かったです。新聞の劇評価に代わって、SNSの利用は不可欠だとしつつも、映画ならば予告ビューなどがあるのに対して、関係性の構築そのものに醍醐味があるストレートプレイにおいて、筋書だけSNSで読んでも演劇を観に行こうとはならないのではないか等、検討すべき課題を学生たちは発見していました。
最後に三浦先生からは、「演劇を観るのがかっこいいと思ってください、美術館へパステルなモネの絵画を見に行くのと同じように」とのメッセージもいただきました。


 
 
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