白百合について

学長室の窓から No.32

2022年5月6日

本年度もよろしくお願いいたします

白百合女子大学
副学長 小林 明子

皆さま、こんにちは。
副学長2年目の小林明子です。
本年度も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

新年度も引き続き感染防止策をとりながら、授業は対面授業を基本に開始し、課外活動も事前申請のうえで活動が再開しました。一方、感染状況については、数を見ると感染者数が少なくなってきているように見え、いろいろな面で制限緩和が進められているものの、感染力の強いBA.2への置き換わりが進みつつあります。決して気を緩めることなく、これまで通り、基本的な感染防止策の徹底に努め、充実した学生生活をお過ごしください。

さて、5月となり、キャンパスは新緑の美しい季節を迎えました。中庭を中心としたキャンパスは、私たちにとって四季それぞれの美しさに接することのできる、心癒やされる空間です。特にこの時季の木々の緑は、色鮮やかに咲く花々の美しさを凌駕するものがあります。それは新年度を迎え、希望とともに一抹の不安を抱えながら新たな一歩を踏み出している学生の皆さんの姿や声と重なり、一色でありながら一層そういった感じを強くさせるのかもしれません。


私が研究対象としている島崎藤村という作家にとって、この木々の緑の美しさは、特別な意味をもっていたと思われます。新体詩人として脚光を浴び、詩人としての地位を確立しましたが、やがて詩作から離れて創作形式を小説に変えました。それは、詩では自分の考えることを書き表せないと考えたからです。結婚とともに東京を離れ、生活の拠点を長野県小諸市に構え、小諸義塾という学校で教鞭をとりながら小説を書く練習を始めます。丁度日露戦争で多くの青年が戦地へと駆り出されていった時代でもありました。藤村はこうした周囲の状況のなかで、小説という創作形式への移行を決意し、さらには社会に対しての問題意識を持ち、苦しみながら独自の文学世界を形作っていきます。当時執筆された作品は、研究上では「習作」と位置づけられ、<小説家 島崎藤村>誕生までの、まさに試行錯誤の修業の日々を辿る貴重な作品群です。それらはやがて一冊の本にまとめられ、『緑葉集』(明治401月)というタイトルが付けられます。他の作品を集めて構成された叢書にも「緑蔭叢書」という名称が付けられており、「緑葉」、「緑蔭」は、文学者としての新たな始まりの時期を象徴するとともに、彼自身の深い感慨もまた込められていることでしょう。


私たちもまた、社会とつながりながら生きています。作家たちは、それぞれが生きた「今」をどのように見てきたのか。本年度は、作家と社会の関わりに目を向けていきたいと考えています。

 

 

 

 

 

 


                 



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