白百合について

学長室の窓から No.30

2022年1月17日

新しい年を迎えて

白百合女子大学
副学長 小林 明子

2022年、新しい年が始まりました。

昨年後期からは、新型コロナウイルス感染者数も比較的落ち着いた状況になり、大学も一部遠隔授業を併用しながら対面授業を再開しました。学内での皆さんの生活も、少しはコロナ禍以前の生活に近づきつつあったかと思います。とはいえ、ようやく、という気持ちと一方では収束したわけではないことによる不安とが混在する複雑な心境でいらした方も多かったことと思います。

そのようななかで、私たちはオミクロン株の出現によって再び厳しい感染拡大の状況に向き合うことになりました。ある期間をおきながら繰り返される感染拡大を前にして、私たちはこれまでの経験をもとに、感染防止対策の基本に立ち戻り、それらを守り、実行することが大切です。

健康でありたい、無事に過ごしたいという思いは、すべての人の願いでもあります。年始にあたっては、これからの日々を思うとなお一層、その願いは強くなります。無病息災という言葉は、日本人のあいだで昔から知られています。まさに、こうした人々の願いを表していると言えるでしょう。前回も私の専門とする島崎藤村のことに触れましたが、病を抱える彼もまた、それを願う一人でした。友人の誘いで、昭和16年1月に大磯の海岸で行われた左義長の祭りに招待されたことがきっかけで、やがて東京を離れ神奈川県大磯に移り住みます。その後第二次世界大戦の戦況に応じて疎開先は大磯と決まり、終には終焉の地となりました。左義長は彼と大磯を繋いだ行事であり、印象深いものとして残ったようです。左義長とはその年の無病息災を祈って行われる火祭りで、地域によって多少の違いがあるかもしれませんが、門松や注連飾りなどを集めて、それを高く組み上げて燃やすのですが、大磯では、前日に「さいとやき」という道祖神を海に投げ込む、引き上げるといったことも行われていました。「『東方の門』ノート」の昭和16113日から14日にかけての記録では、祭の道具や竹が組まれた様子などが絵入りで記されています。当時自らも病気がちであった彼にとっては、日本人の心情と生活に関わる行事の一つというだけはなく、民間信仰への興味にもつながっていくものでした。

年があらたまる時、人は心機一転、これからの日々に、そして自らの歩みに期待をかけます。世界の人々も同じです。

あらためて、これからも感染防止に努めながら、毎日を過ごしてまいりましょう。


 

 

 


                 



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