白百合について

学長室の窓から No.18

2021年1月25日

コシヒカリとササニシキ


白百合女子大学
副学長 伊東 玉美

小学生の時、学芸会での発表のため、「政府米」と「自主流通米」のことを調べたのが遠いきっかけとなったのか、「米」のことにはずっと関心がありました。日本には土地の人々が愛してやまない各地の米がありますが、ずっと関東育ちで、東北地方産の米の味に慣れている自分には、関西地方の米の食味が違い、1980年代ころまでは「しっかりしたホテルで出される米でさえこういう風味なのか」と驚くことが度々ありました。50年くらい前の身の回りでは、今と違って米の品質が安定せず、炊きたては美味しいのだが冷めるとひどくまずくなる米もあり、それが嫌な人は、寿司屋さんが使うとされる「寿司米」を取り寄せたりしたものでした。

関東人にとってコシヒカリに代表される新潟米は、美味しいお米の一つの代名詞だと思います。その新潟米と新潟の地酒のブームには火付け役がいたことを、1990年頃だったか、ラジオ放送の対談番組で知りました。新潟が米所であることを前面に出し、燗酒ではなく常温もしくは冷やして飲む、新潟産の幻の銘酒の売り込みを図った人物がゲストで、この人はまた、それまで一升瓶で提供されるのが普通だった日本酒をワインボトルのサイズにし、来客の際、主婦が台所に立ちっぱなしで燗酒の世話をするのではなく、常温ボトルサイズの日本酒を、飲み手同士がテーブルを囲んで注ぎながら、酒の世話から解放された主婦も、来客との会食の輪に加わるスタイルを提案したというのです。おいしい産地の米で作るおいしい酒の新しい飲み方。単品でなくモノやスタイルと組み合わせての戦略です。

ところで、コシヒカリが台頭して来た頃、その向こうを張っていたのは宮城県のササニシキでした。もち米的な食味を特徴とするコシヒカリに対し、ササニシキはもちもちではなくむしろ固い食味に特徴があり、私はササニシキ派でした。駅弁のご飯のような、固めの食感の米が好きだったのです。

しかし、今日まで人気を保っているコシヒカリに対し、ササニシキは姿を消し、宮城県の米といえばひとめぼれになってしまいました。冷害や病虫害に対する強さなど、その原因はいろいろと説明されていますが、確か2000年代になってからテレビ放送で聞いた、農林試験場の方であったかの説明が心に残っています。「ササニシキは普及を歓迎し、いろいろな土地で作付けされるのに寛大だったが、そのために品質が揃わなくなり、衰退のきっかけになった」というのです。確かに当たり外れがある銘柄では、わたくしの子ども時代のお米のようで、消費者からの信頼は失われます。そしてその方は、「コシヒカリのようなもちもちした食感ではなく、ササニシキのような固い食感の米の愛好家はいる。その人たちの期待に応えられるような新たな品種を作っていきたい」と続けられたので、私はテレビ画面の前で大いにうなずいたのでした。

さてその後の自分はというと、もちもちだろうが固めだろうが、炭水化物の摂取を一律控えるよう医者から指導される、立派な成人病世代となりました。しかし、自分の好み云々は別として、コシヒカリとササニシキをめぐる問題は、ある商品なりサービスなりを提供していく時のやり方を検討する上で、今なお考えさせられる多くの問題を含んでいると思います。イメージの形成、何かと組み合わせての推奨、享受者側の好み、サービスの質の安定化、規模拡大の是非。本学もまた、コロナ禍という状況をプラスに転じることができるよう、そういった問題を視野に入れながら、不断に変化していく必要があるだろうと感じます。
 

 
   獅子もマスクの段葛



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