言語・文学研究論集

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『言語・文学研究論集』第24号(2024年3月刊行)

 モンス・デジデリオ作品に描かれた建築モチーフに関する考察
                                             —塔状装飾〈グーリア〉を事例に—
吉田 怜美

 よく読むためのレトリック-文彩の説得機能-
越 森彦

 保育園における学年別「持ち物リスト」で使用されることばの考察
                                   -外国につながる保護者の日本語支援の観点から-
井上裕子・栃木亜寿香

 台湾におけるカトリック大学の建学の精神を活かした教育実践について
林耀堂

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【特別寄稿】
 
 公開講演会報告「レチフ・ド・ラ・ブルトンヌとロマン主義作家」(2023 年 2 月 18 日開催) 
辻川慶子

 レチフ・ド・ラ・ブルトンヌとロマン主義作家— サンド、デュマ、ネルヴァル、シュー —
フランソワーズ・ル・ボルニュ(石田雄樹訳)

 パリはいかに語られたか——レチフから 19 世紀作家へ 
小倉孝誠
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 二条院・二条東院構想から六条院へ(上)
平沢竜介

 『狭衣物語』における霊験の影響と結果
津村朱音

 国木田独歩 「忘れえぬ人々」論—小説の書けない〈文学者〉—
髙橋博史

 岩田準一と竹久夢二
森永香代



『言語・文学研究論集』第23号
(2023年3月刊行)
 
 1926 年守田勘彌一座の上海公演について
姚 紅
 
 ICT 教育における古典文学の可能性 —国文学研究資料館共同研究の紹介を中心に
宮本 祐規子
 
 日台オンライン合同授業の検証に向けて 
                       —少人数グループ活動のアンケート結果を中心に—
武田 加奈子・篠原 美智子
 
 オンライン日本語授業についての分析と考察 
                      —台湾・中国で行った事前のアンケート調査の結果を用いて—
高際 美沙・尾方 舞郁
 
 オンラインツールを使用した作文授業に対する受講者の意識や評価について
田島 佐記
 
 もの怖ぢせぬ男君と虫めづる姫君 —『堤中納言物語』「虫めづる姫君」考—
若狭 祥子
 
 芥川龍之介「一塊の土」論 ——牛を飼うお民と開墾を誇るお住——
髙橋 博史
 
 太宰治『待つ』論
武井 理紗
 
 江戸川乱歩「防空壕」論
安蒜 貴子



『言語・文学研究論集』第22号(2022年3月刊行)
 
 ヴァトー作《ニンフとサテュロス(ユピテルとアンティオペ)》の作品受容史と図像学的背景について
安室 可奈子
 
 1926年守田勘彌一座の満洲公演について
姚 紅  
 
 ヴィシー政権下の女性の役割・労働・身体
                 —女性への抑圧と堕胎罪厳罰化を中心に—
吉田 怜美  
 
 日系ケベック人作家 Aki Shimazaki とパンタロジー
羽生 敦子
 
 立原道造 和歌引用の方法
名木橋 忠大  
 
 安部公房「赤い繭」論
安蒜 貴子



『言語・文学研究論集』第21号(2021年3月刊行)
 
 市川左團次の1924年中国公演
姚 紅
 
 ループリックの見直し:EFL プレゼンテーションにて学生の積極的な参加促進について
アンダーソン ローレン マーガレット・藤島 セシリア スミス 
 
 『古今和歌集』の成立過程(下)——前詔、後詔の時期を中心に——
平沢 竜介


 
『言語・文学研究論集』第20号(2020年3月刊行)
 
 会話的含意を形作る際のコンテキストと共有知識の重要性
ナイト ティム
 
 19 世紀ニューヨーク社交界とヴァンダービルト家
                             ——ヴァンダービルト家が壊したNY社交界の壁
大塩 真夕美
 
 アメリカ合衆国革新主義時代の女性社会運動史再考——ローカルな視点から
畠山 望 
 
 巡礼地から観光巡礼地に至る変遷の一過程について:ルルドを事例として
羽生 敦子
 
 『古今和歌集』の成立過程(上)——前詔、後詔の時期を中心に——
平沢 竜介
 
 江戸川乱歩「芋虫」「孤島の鬼」論——形作られる肉体をめぐって——
安蒜 貴子
 
 三島由紀夫『曉の寺』——謎めいた転生者と行為者になろうとした認識者——
田中 あゆみ 


 
『言語・文学研究論集』第19号(2019年3月刊行)
 
 サム・シェパード『埋められた子供』における「不条理」な家族
                             ——ユージン・オニール『楡の木陰の欲望』との比較
高橋 典子
 
 「見せびらかし」の社交の裏側で
                             ——19世紀後期ニューヨーク富裕層家庭を支えた家内労働者 
大塩 真夕美
 
 アメリカ合衆国世紀転換期における子供の遊び
                             ——社会改革団体によるレクリエーション・パーク建設をめぐって
畠山 望
 
 観光地ルルドにおけるホスピタリティに関する試論
羽生 敦子 
 
 芥川龍之介「十円札」論——芸術をめぐる虚構と嘘——
田沼 伊都子 
 
 安岡章太郎『舌出し天使』論——岡部の〈義務と責任〉をめぐって——
大塩 香織
 
 漢語「スイキョ(推拳・吹嘘・吹拳)」の漢字表記と意味用法——文書用語の史的展開——
鄭 艶飛

 
 
『言語・文学研究論集』第18号(2018年3月刊行)
 
 六条院の成立(下)
平沢 竜介
 
 『源氏物語』における『遊仙窟』の受容——「若紫」の巻に着目して——
蔡 芸
 
 三島由紀夫「奔馬」——二人の「行為者」が担う役目——
田中 あゆみ
 
 語りの継承——ハックルベリー・フィンからポートノイへ——
朝日 由紀子
 
 『失われた時を求めて』におけるドン・キホーテ的欲望
池田 潤
 
 ニューヨーク社交界の指南役ワード・マカリスター
                      ——『無垢の時代』におけるその描かれ方——
大塩 真夕美
 
 Peter PanのNeverlandと二冊のPooh本の「森」
                      ——失われる場所、保持される場所——
半田 涼太
 
 サム・シェパード家族劇における、アメリカ的理想の家族像の影
高橋 典子
 
 女性監督映画の重要性と役割——フランス映画と日本映画における女性監督の現状——
増田 真美子
 
 比較文化論文——フランスと日本の挨拶の違いと重要性——
アンダーソン マリ
 
 日本語教科書で観察される「かなと思う」
石井 郁江


 
『言語・文学研究論集』第17号(2017年3月刊行)
 
 明石の君の大堰移住(上)(改稿)
平沢 竜介
 
 芥川龍之介「寒さ」論——機械的行為に表れる人間らしさ—— 
田沼 伊都子
 
 遠藤周作「白い人」論——〈私〉の〈みにくさ〉に着目して—— 
大塩 香織
 
 フランソワ・ブーシェ《ディアナの水浴》(1742年)の文学的・視覚的着想源をめぐって
安室 可奈子
 
 “Child” の二義性とPeter Panの特質について——小説版Peter Panの場合—— 
半田 涼太
 
 Nisei Daughterの母の歌——第二次大戦中の短歌を中心に——
粂井 輝子
 
 『埋められた子供』『八月:オーセージ郡』における母性の機能不全と「母親代わり」の部外者たちの役割 
高橋 典子


 
『言語・文学研究論集』第16号(2016年3月刊行)
 
 二条東院構想試論(下)
平沢 竜介
 
 『源氏物語』における音楽——自然との関わりについて——
西ロ あや
 
 『源氏物語』の「若紫」の巻における『遊仙窟』の受容——「北山」を中心に——
蔡 芸
 
 宮沢賢治「貝の火」論——権力と無縁のまなざしを取り戾すことは出来るか——
矢花 真理子
 
 遠藤周作『海と毒薬』論(二)——〈演じ〉続ける戸田と〈心の苛責〉——
大塩 香織
 
 シャーロット・ミュウの詩におけるモチーフとしての“道”
ニール・コンウエイ
 
 His Dark Materialsにおける総体化の陷穽
                              ——Bolvangar の場面における “child” と “adult” をめぐって
半田 涼太
 
 フランス王政復古期の歴史図像——ルイ18世のパリ入城とアンリ4世騎馬像——
安室 可奈子
 
 待つ女に隠された魔性と欲望——河瀨直美監督『朱花の月』
増田 真美子
 
 『ヨーロッパ言語共通参照枠』に準拠するフランス語教科書(A1/A2)の
                             「拒否」に関するポライトネス・ストラテジー
大塚 陽子
 
 日本語と中国語における可能表現に関する対照研究
                             ——日本語の潜在可能文と可能の顕在化文に対応する中国語について——
呉 志寧

 
 
『言語・文学研究論集』第15号(2015年3月刊行)
 
 『源氏物語』「蓬生」の巻現代語訳試案(二)
室城 秀之、大津 直子、西口 あや、秋草 まゆみ、蔡芸
 
 『源氏物語』「若菜下」の巻の女楽をめぐって
西口 あや
 
 谷崎潤一郎と中国の伝統演劇
姚 紅
 
 芥川龍之介「あばばばば」論——社会的役割の変化による個の喪失——
田沼 伊都子
 
 宮沢賢治「黄いろのトマト」論
                             ——〈私〉が回想することの意味/〈奇体〉というモチーフをめぐって——
矢花 真理子
 
 山田風太郎 初期作品の変遷——近未来小説「1999 年」を中心に——
安蒜 貴子
 
 遠藤周作『海と毒薬」論——三つの〈死〉をめぐって——
大塩 香織 
 
 北米俳句の一世紀——レニア吟社の歩みを中心に
粂井 輝子
 
 フランス語初級教科書におけるポライトネスとしての呼称
大塚 陽子
 
 「道徳」の時間における読み物資料について
油井原 均 

 
 
『言語・文学研究論集』第14号(2014年3月刊行)
 
 『源氏物語』「蓬生」の巻現代語訳試案(一)
室城 秀之、大津 直子、西口 あや、秋草 まゆみ、蔡芸
 
 長明の詠歌方法——『長明集』における題詠歌——
成田 みずき
 
 芥川龍之介「お時儀」論——「薄明るい憂鬱」に漂う曖昧さ——
田沼 伊都子
 
 遠藤周作『わたしが・棄てた・女』論
大塩 香織
 
 『春の雪』——清顕の優雅の行方——
田中 あゆみ
 
 遠藤周作と堀辰雄——『テレーズ・デスケルー』をめぐって
福田 耕介
 
 大手スタジオシステム時代(1930~1980)の日本映画における医学をめぐる物語と表象
川竹 ジョジアーヌ
 
女性における経験のエクリチュールと主体性の探求
                             ——アニエス・ヴァルダとシャンタル・アケルマンの映画を通して
増田 真美子
 
 文学と法 与謝野晶子『雲のいろいろ』における「養子」と「反対」
セン・ラージ・ラキ
 
 日本の知識人と京劇——村田孜郎を中心に
姚 紅
 
 中国語訳から見た「どんぐりと山猫」
                             ——子どもにとっての「どんぐりと山猫」と〈橡子與山猫〉——
陳 瀅如
 
 鶴嶺湖四十八区「川柳」が詠むツーリレーキ隔離収容所の生活
粂井 輝子


 
『言語・文学研究論集』第13号(2013年3月刊行)
 
 『古今集』恋の部一の構造(二)
平沢 竜介
 
 菅原道真歌集拾遺
佐藤 信一
 
 谷崎潤一郎「金色の死」論——〈私〉の変化にあらわれる芸術観——
浅見 步惟
 
 芥川龍之介「保吉の手帳から」論——変化する俗世間との関わり方——
田沼 伊都子 
 
 『山からの手紙』——ルソーはどのように論敵のエートスを破壊したか
越 森彦 
 
 台湾では翻訳されない賢治童話「雪渡り」
                             ——異本作業としての翻訳という観点から——
陳 瀅如
 
 映像言語に隠された「見ることの悦楽」の考察
                             ——女性監督シャンタル・アケルマンの映画を中心に
増田 真美子 


 
『言語・文学研究論集』第12号(2012年3月刊行)
 
 古今東西・酒詩歌の類型体系化
岩佐 善哉
 
 『古今集』春の部、冒頭の構造(改稿)
平沢 竜介
 
 新美南吉「ごん狐」考
山崎 恵 
 
 「一所懸命」の成立に関する一考察——漢語受容史研究の観点から——
鄭 艶飛 
 
 アンデルセンの擬人化表現とその効用——童話創作以前の小説を中心に
陳 筱燕


 
『言語・文学研究論集』第11号(2011年3月刊行)
 
 『古今集』物名の部の構造
平沢 竜介 
 
 仏独歴史教科書——共通でグローバルな歴史認識の誕生とは?——
佐藤 クリスチーヌ
 
 『神統記』にみる擬人化の諸相
陳 筱燕 
 
 隠蔽と表出——ピエール・ロティ『マダム・クリザンテーム』における「猫」——
伊藤 愛 
 
 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の変容 ー韓国での翻訳をめぐってー
朴 鍾振 
 
 アメリカ合衆国敵性外国人抑留所内の短詩型文学覚書
粂井 輝子


 
『言語・文学研究論集』第10号(2010年3月刊行)
 
 『古今集』離別の部の構造
平沢 竜介 
 
 『うつほ物語』に見られる父に先立たれた娘の造形ー俊蔭の娘に関する一考察としてー
三浦 則子 
 
 鴨長明の和歌ー『正治二年第二度百首』詠百首和歌を中心にー
成田 みずき 
 
 『曽根崎心中』ー近松門左衛門の歌舞伎狂言からの考察ー
菊池 聡子
 
 芥川龍之介「少年」論ー《回想される》保吉と《回想する》保吉ー
田沼 伊都子
 
 マリアンヌとは何者か? 共和国のシンボルの歴史と変遷
佐藤 クリスチーヌ 
 
 マクベス夫妻の悲劇ーマクベスとマクベス夫人の意識のずれー
綾木 伊津子 
 
 ジョージ・クルックシャンクの戯画と『パンチ』誌にみる道具と文字の擬人化
陳 筱燕
 
 遠藤周作ー空と海、そして神の沈黙ー
越 森彦


 
『言語・文学研究論集』第9号(2009年3月刊行)
 
 明石の君の大堰移住(上)
平沢 竜介
 
 早歌の〈正本〉の精度についてー『早歌全詞集』第二版の新出譜本校訂を終えてー
外村 南都子
 
 山田風太郎「恋の奇蹟屋」論
安蒜 貴子 
 
 歴史と記憶の公的利用と乱用を前にした歴史家たち
佐藤 クリスチーヌ
 
 ルソーの父親像ー1731年父親宛書簡と自伝『告白』との比較を通じてー
井関 麻帆
 
 The Prince and the Pauper研究ーマーク・トウェインに見る父親像ー
島田 由香
 
 ムルソーとエマニュエルー『異邦人』のトラックのエピソードを読み解くー
善本 孝
 
 在米日本人「移民地文芸」覚書 (5) 「石は直角する」ー加川文一の自由詩の探究ー
粂井 輝子
 
 薩摩治郎八とパリ国際大学都市 (2) ー研究の現段階と人文学における「調査」の実際ー
篠田 勝英


 
『言語・文学研究論集』第8号(2008年3月刊行)
 
 三島由紀夫と音楽と
宇神 幸男
 
 史料による東二条院ー『とはずがたり』に描かれなかったものー
杉田 良恵
 
 芥川龍之介「首が落ちた話」論
林 佩君
 
 山田風太郎「蠟人」論
安蒜 貴子 
 
ポライトネス理論から見た言語行為ーFFA概念の導入をめぐってー
大塚 陽子
 
 A Midsummer Night's Dream ー女性美の伝統とcomedy
高橋 恵
 
 ジョージ・エリオットの小説における「黒服」の持つ意味
矢野 奈々
 
 トマス・ハーディの『カスタープリッジの町長』と
                              『ダーバヴィル家のテス』における家庭の崩壊と再興
橋本 史帆
 
 スティーブン・ディーダラス、「笑い」の志向と可能性
                             ーUlysses第1部を中心とした考察ー
神戸 理絵
 
 フィリップ・プルマンの『ライラの冒険』を読むー旅の道具3つを中心にしてー
石井 亜矢子


 
『言語・文学研究論集』第7号(2007年3月刊行)
 
 貫之の和歌観ー本質論、効用論を中心にー
平沢 竜介
 
 『とはずがたり』の父と母
杉田 良恵
 
 芥川龍之介「仙人」論 ー近代人としての考え方と生き方ー
林 佩君
 
 山田風太郎「黒衣の聖母」論
安蒜 貴子
 
 薩摩治郎八とパリ国際大学都巿日本館 (1) ーポール・クローデルの果たした役割ー
篠田 勝英
 
 『シュルレアリスムと絵画』ーシュルレアリスム絵画における視覚的イメージとその構造ー
高木 瑞穂
 
 困難な道を選ぶ者たち-The Battle of Maldonにおける Byrhtnōð の英雄性と家臣たちの反応
原田 英子
 
 トマス・ハーディのパストラル小説における家庭の崩壊—田園と都巿の相克を中心にー
橋本 史帆
 
 “The Luck of Roaring Camp” にみるプレット・ハートの演出方法
島田 由香
 
 在米日本人「移民地文芸」覚書 (3)「かへらぬふるさと」ー下山逸蒼の自由律俳句
粂井 輝子


 
『言語・文学研究論集』第6号(2006年3月刊行)
 
 『とはずがたり』東の御方考ー明暗を象る女ー
杉田 良恵
 
 芭蕉偽簡考ー工山宛と昌房宛ー
田中 善信 
 
 サルトルと現代日本
澤田 直
 
 「過去の王にして未来の王」ートマス・マロリーとアーサー王の墓碑銘
青木 美奈
 
 「ジャネットの改悛」における「ダーク・ヒロイン」像について
矢野 奈々
 
 チャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』と
                             『ディヴィッド・コパフィールド』における堕落した女性像
橋本 史帆
 
 マーク・トウェインの「キャラヴェラス群の名高い跳び蛙」にみる笑いの一考察
島田 由香
 
 「環境の犠牲者」ーイーディス・ウォートン『歓楽の家』に見るローレンス・セルデン
田中 真タ美
 
 鋭い眼差しが抉り出す再生のきっかけーフラナリー・オコナー「善き田舎者」ー
中村 恭子
 
 9.11 後の新しいパラダイムを求めてーテリー・テンペスト・ウィリアムスの 9.11受容
岩政 伸治


 
『言語・文学研究論集』第5号(2005年3月刊行)
 
 初学期の後京極良経~兄の死をめぐって
櫻田 芳子
 
 『とはずがたり』三回忌記事における手紙の贈答について
杉田 良恵
 
 〔翻刻〕応永二年坂阿署名本『宴曲集』巻第四
外村 南都子・橋本 裕規子・吉良 裕美子・杉田 良恵 
 
 英作文の授業におけるジャーナルの機能と効果
川口 エレン
 
 Border Balladsにおける英雄像—“The Battle of Otterburn”(Child161)と
                             “The Hunting of the Cheviot”(Child162)を中心にー
 
原田 英子
 
 『アダム・ビード』におけるヘイスロープとヘティーの「閉塞」について
矢野 奈々
 
 ジョージ・エリオットの小説における女性達の苦境ー野心、欲望、怒りー
橋本 史帆
 
 『シスター・キャリー』における成功の夢と破滅
島田 由香
 
 Bread Givers に見るユダヤ人女性—娘として、妻として、そして一人の人間としてー
田中 真タ美
 
 E.ウォーの『一握の麈』におけるトニー・ラーストの半生ー『荒地』からのエピグラフを中心にしてー
浅田 千枝子
 
 ≪Le vice-consul≫における「自転車」のイメージ
川井 扶佐子
 
 ヨウダとラシイーポライトネス理論の観点からー
栃木 亜寿香

 
 
『言語・文学研究論集』第4号(2004年3月刊行)
 
 源経信と橘俊綱
渡辺 麻衣子
 
 文治五年秋、良経・慈円・寂蓮の贈答歌について
櫻田 芳子
 
 瀬戸内晴美(寂聴)『祇園女御』における『とはずがたり』受容について
杉田 良恵
 
 『芽むしり仔撃ち』論ー子供であることを願う意志
川邊 紀子
 
 〔翻刻〕〈白百合女子大学蔵〉『釈迦の本地』
佐藤 信一・井田 智子・黒宮 麻衣・西村 瑠美子・江崎 優子
 
 巖谷小波資料翻刻ー手帳(明治三十二年)ー
小波日記研究会
 
 命令表現としての Voulez-vous+inf.?
大塚 陽子
 
 デュラスにおける「不在」
川井 扶佐子
 
 翻訳者としての遠藤周作ー『テレージ・デスケルー』訳をめぐって
福田 耕介
 
 マルグリット・デュラス、映画を回収した文学者
川竹 ジョジアーヌ
 
 模範と逸脱の間でーAmeliaに関する一考察
土井 良子
 
 『ダニエル・デロンダ』における水のイメージについて
矢野 奈々
 
 オコナーの現代消費社会考ー『賢い血』における「動物化する人間」
中村 恭子


 
『言語・文学研究論集』第3号(2003年3月刊行)
 
 詩をポケットにー詩人、歌人の声 そして、わたくしの歌ー
吉増 剛造
 
 『海道記』における「月」の表現
吉良 裕美子
 
 『とはずがたり』における「死」の記事についての一考察
杉田 良恵
 
 延慶本『平家物語』における「弘法大師即身成仏説話」の考察
                              ー諸宗の碩徳をめぐってー
高橋 亜紀子
 
 『ヒロシマ・ノート』と『人生の親戚』ー大江健三郎の〈文学的想像力〉についてー
川邊 紀子
 
 〔翻刻〕〈白百合女子大学蔵〉奈良絵本『小おとこ』
佐藤 信一・塩越 陽子・柴田 佳世子・島田 紘子・内藤 まりこ・森田 理沙・吉村 澄香
 
 電子テクストとデータベース (1) ー製品版テクスト集成の検証と評価ー
篠田 勝英
 
 ベルナノス『田舎司祭の日記』における死のイマージュー青年司祭の癌をめぐってー
奈良澤 純子
 
 マルグリット・デュラスの「視線」ー『ロル・V・シュタインの歓喜』をめぐってー
川井 扶佐子
 
 E.M.フォースター:実在認識、そして個人的つながりへ
太田 紀子
 
 『事件の核心』論考ースコービーの死の意義ー
浅田 千枝子
 
 キャザーの「慶ばしい空間」ーニュー・メキシコの大聖堂ー
鵜沢 文子


 
『言語・文学研究論集』第2号(2002年3月刊行)
 
 『土佐日記」の意匠ー和歌に関する記述の分析を通してー
平沢 竜介
 
 鯉と雉ー『うつほ物語』の飲食表現ー
室城 秀之
 
 「出発点」から見た『信生法師集』の旅の意味ー都・鎌倉・塩谷を通しての考察ー
吉良 裕美子
 
 『うつほ物語』の表現ー琴の音をめぐってー
三浦 則子 
 
 「老水夫の歌」における船旅を巡って
田村 一男
 
 T.S.エリオットの『四つの四重奏』における「「火」と「薔薇」の一致」
浅田 千枝子
 
 Murder in the Cathedral トーマスの越境ードアのイメージを中心として
熊谷 治子
 
 “Shining-Brown” :ー中英語‘broun’の意味についてー
山形 俊之
 
 ベルナノスの教会観ー文学作品を中心としてー
奈良澤 純子


 
『言語・文学研究論集』第1号(2001年3月刊行)
 
 「~てしまう」の用法ーアスペクト論に関連してー
鈴木 英夫
 
 『海道記』における「都」の意味—「出発点」が旅に及ぼす影響ー 
吉良 裕美子 
 
 『アメリカ人』: "Self" vs. "Shell"ー旧世界のアメリカ人ー
太田 紀子
 
 晚年のマーク・トウェインに見られる「ほら話気質」
瀧岡 啓子
 
 『荒地』の音楽的構造ーワーグナーのライトモチーフをめぐってー
熊谷 治子 
 
 《もう一つの殉教》ジョルジュ・ベルナノス『カルメル会修道女の対話』 
今野 純子
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