5/30(土)に本学で開催のコバルト文庫創刊50周年記念シンポジウムに関連して、
図書館でも企画展示「新井素子作品展-資料でたどるSF×少女小説の軌跡-」を行いました。
図書館2階の吹抜けエリアにて、第1回奇想天外SF新人賞の〈佳作〉入選作「あたしの中の……」の掲載当時の雑誌をはじめ、
コバルト文庫『いつか猫になる日まで』『あたしの中の……』『扉を開けて』の表紙原画(長尾治 画)など、貴重な資料の展示を
行いました。
シンポジウムは午後の開催でしたが、図書館展示開始後の10時過ぎから見学される方がおり、見学終了時刻間際まで多くの方が
じっくりと見学される様子がうかがえました。
この展示は、6/21(日)まで学内向けに引き続き展示を行っています。
来館の際にはぜひご覧ください。
児童文化学科教員 特別寄稿エッセイのご紹介
今回の企画展示に合わせて、本学児童文化学科の教員がエッセイを寄稿し展示しました。
イベント当日もご好評をいただいたので、執筆した教員の許可の上でこちらにもご紹介します。
「兄から自立した日」 水間千恵(児童文化学科 教授)
『星へ行く船』に初めて出会った日のことは、今でも鮮やかに思い出すことができます。
場所は神戸・三宮センター街のジュンク堂書店。いつもどおりハヤカワ文庫を目指してまっしぐらに進んでいたのに、
一列前の棚に平積みされていたポップな表紙にロックオン!
竹宮恵子のカバー絵に引き寄せられて思わず手に取り、オシャレなタイトルと「ロマンチックSF」という角書きにくらくらし、
そのままふらふらレジへと向かうことに……中学入学を目前に控えた春休みのことでした。
帰りの電車で一気読みしてしばし呆然。いいとこのお嬢さんが結婚から逃れるために家出して、ちょっと乱暴なあんちゃんに出会って、憎まれ口叩き合っているうちに恋に落ちるという、まるきりベタな設定(その前に、えせ紳士に一瞬よろめくのもお約束)に、「完全に少女マンガじゃないか、これ!」と大感動してしまったのです。
それまでは4歳違いの兄の背中を追って、アシモフ、ハインライン、クラーク、ブラッドベリなどの正当派SFばかり読んでいた私にとって、「うふ」と笑う主人公に一体化してサクサク読めるこの作品がどれだけ心地よかったことか!
それなりに大掛かりな陰謀やアクションもあるのにコミカル、それでいて「社会派」めいた話題までそっと差し込まれているのが琴線に触れました(ちなみに、この点をさらにパワーアップした2巻『通りすがりのレイディ』が、シリーズ一番のお気に入りです。
『約ネバ』がカズオ・イシグロのパクリ疑惑をかけられていた時、鼻で笑っていた新井素子ファンは私だけじゃないはず!)。
『ツバメ号とアマゾン号』や「ナルニア国」や「中つ国」はもちろん、『鋼鉄都市』も『幼年期の終わり』も『夏への扉』も『火星年代記』も、すべて兄から教えてもらったもの。それはそれで今も大事にしていますが、『星へ行く船』は、読書における私の自立を促してくれたという意味で、特別な作品なのです。
「あたしは明日香」 藤本恵(児童文化学科 教授)
1980年代に十代を過ごした幸運な少女たちには、それぞれ一人くらいは好きな少女小説家がいたし、一つくらいは偏愛する作品があった。当時の私の親友にとって、それは、新井素子と『グリーン・レクイエム』だった。彼女は、「あたしは明日香」だと真顔で言っていた。
明日香は『グリーン・レクイエム』の主人公。現実の彼女と私は、いなかの中学の厳しい校則のせいで髪を短く切り、片道50分歩いて登校する手足はたくましく、日焼けしていた。
明日香の長い髪や白い肌、折れそうに細い手足とは似ても似つかない。そもそも明日香は、地球人に改造された宇宙人!なのに…髪の毛で光合成!できちゃうのに…
それでも、読者が自分を重ねられるところに、少女小説家の生みだした登場人物のすごさがある。私は友だちよりも冷静だったから、「あたしは明日香」と言えば、人に笑われるとわかっていた。一方で、「あたしの為の場所は他にある」「あたしは――自分で行かなくちゃいけない」(※)という明日香の思いが、自分にとって真実だと知っていた。
遠い少女の日、私たちの心に寄りそい、みちびいてくれた新井素子に。少女小説家と、そのことばたちに。
いま、何を返せるだろう。忘れものを思いだそうとするように、ずっと考えつづけている。
(※)『グリーン・レクイエム』の引用は、講談社文庫版(1983年)よりおこなった。